消失と喪失

病棟は4階
終末期、お看取り
積極的治療はせず、寄り添うことが主体の医療
でも残念ながら、糖尿病で全身の臓器が蝕まれて脳にも障害を来たし、コミュニケーションをとれる人は少ない
急性期にいつ何が起こるかわからない緊迫感とは違う、いつ最期を迎えるかのカウントダウン終末期
家族もそれで納得しているまたは連絡が取れなくて来ない

当直室は3階
誰もいないひとりのフロア
電車と車の音だけが大きな波のように、近付いては通り過ぎて静寂を打ち破る心地よさ
このひとりの時間が何故こんなに落ち着くのか
胸に深く重く突き刺さっている楔が取れたかのようだ
誰もいない誰も来ない、病棟からの電話に待機するだけ
誰の目にも映らない安息
それでも仕事をしている充足
この暗闇の中になら、何十時間でもいられそうだ

浮かぶのは、北国か南国の景色

人間が法律や制度を作ったのは、規律や規制によって犯罪や争いを避けるためなのか
或いは、正当性を主張し安定を得て、喪失感を抱かないためなのか

その法律や制度のために、人は争って、正当性を見失い安定を失い、喪失感を味わう

過ごした時間
交わした言葉
伝えた思い
溢れる笑顔
触れる優しさ
滲む幸せ

些細なことがきっかけで歯車が狂い、被害妄想が醜い暴走族と化した
タブーやウィークポイントは誰にでもあるけれど、相手の耐性を超えて、表面の破壊や解離を2度起こし、他意なき自分の言動が与えた影響を知り、悲しく苦しい思いで胸が引き裂かれた

でも、表面は壊れても、核は壊れない
核が壊れたら人格崩壊だけれど、そこは揺るがないはずだ
表面が壊れて核が剥き出しになるだけだ
壊れた表面は、再構築される時に形を少し変える
そしてそれは進化ともとれる

そうやって何度も何度も小さな破壊と再構築を繰り返すことは、脱皮に似ている

相手の傷つくことを次からはなるべくしないように、相手の喜ぶことをなるべくできるように、そんなふうに生きてみたい

肉体や言葉の暴力ではなく、率直に向き合って、沢山の言霊を交わせたら最高だ

そんなふうに柔らかに緩やかに歩み寄って近づくことは、力業とは違う

制度は縛るものではなく、包んでくれるものになる

正当性を主張、誇示しなくても、その存在自体を認め必要とする相手がいる
そこに安心が生まれる

揺るぎない存在を亡くした時、喪失感はかなりのリアリティーを帯びる
生きること自体が、得ては失う一瞬一瞬の繰り返しだとするならば、やはり夕日と同じように、命や人生は美しく儚い

その喪失感や儚さこそが、生きることの最大の醍醐味であり、そのリアリティーを本当に持てる人間がこの世にどれだけいるだろうか

喜びや幸せ
悲しみや憂い
一方を噛み締められない者は、もう片方も噛み締めることはできない
すべてを引き受けることができたなら、そこに穏やかな輝きがあるのだろうか

お金を残して40くらいで死にたいと強く望んだ時期があった
それは償いであり同時に復讐であった

最近は、その前に無理心中してしまうかと思った
目的は金じゃないとしきりに訴えていた

確かに、母親は身も心も削って心臓発作を起こし死に直面しながら自己犠牲を払って私を愛した
でも過剰すぎる愛は剥奪と区別がつかず、苦しすぎる

分身、投影、対象化

自分が子供を産んだとしたら、分身にしてはいけない
そもそも、母親が私にしたようには、私は子供にできないだろう
そうできない自分を責めたり、親に自己投影することもやめなければいけない
対象化しなければいけない

亮二のことも、今は投影でなく対象化できるようになってきている

償いや復讐や心中は忘れようと思った

そんなことより、これから喜怒哀楽を感じて過ごす一瞬一瞬を、喪失していくことの方が魅惑的だ